2008年10月25日土曜日

出逢いと別れ。



昨日は新宿で友達を見送った。

彼女とは専門学校の講師のときに出逢った。

当時、彼女は生徒の中のひとりでしかなかった。
小さくて可愛らしいから、18歳くらいかと思っていた。

私が彼女の卒業制作を担当したことで急速に仲良くなり
彼女が台湾から来ていることや、そのときすでに24歳ってことや
頑張りやでデザインや建築が好きで、いろんなことに興味があって
芯が強くて。でも、とてもチャーミングな女の子ってことを知った。

彼女のおかげで、いままで知らなかったこともたくさん知った。
興味がなかったこととも言える。

それまで私は、中国と台湾の違いも、関係も
過去の日本との関係も知らなかったのだ。

いや、学生時代勉強したはずなのに、気にも留めていなかった。
同じアジアで起こって、
ほんの60年前に日本も関わっていることなのに
なぜこんなにも無頓着でいられたのだろう。
知らなくても暮らせていけるのが、なんだか怖いようにも思った。

その後、ロンドンや中国で暮らしてみて、

実感を持って他の国や自分の国について考えられるようになった。


私達は会えば、デザインのこと、ファッションのこと、
仕事のこと、行きたいお店や、アート展、恋愛のこと、国のこと。
自分たちをとりまくありとあらゆることを話した。
話は尽きなかった。

大人になって、友達をつくることは難しいと思っていた。
大人な自分を崩さす関係を築きたいと思うからだろうか。

そんな彼女が2年間勤めた徹夜ばかりの広告会社を辞め
帰国を決めたとき、
彼女にとってベストな選択になればいいと願いながら、
やはり寂しかった。

出逢ってから、3年半。彼女はもうすぐ28歳になる。

遠くにいても、一度出逢ったら心は離れないと思う。ずっと友達だ。
それはわかっている。そうだとも思える。いつでも会えるのだ。

小学校からの幼なじみも、大学からの親友も。
今は遠くに暮らしていて、でも、繋がっていると今は思える。

わかっているのに、なぜ毎回その場面に出くわすと
いつもこんなに寂しくなるのだろう。
涙がわーって出てくるのではなく
しっとり、ずっしり。心に寂しさがしみこんでくる。

新宿で会って、
彼女が好きな伊勢丹のロイコペのカフェでお茶して別れた。
彼女と最初に遊んだ場所も新宿だった気がする。

彼女はひどく寂しそうで、「終わっちゃったんだなー。って思う」
と何度も言った。

彼女にとっては、彼女の人生の「日本での生活」という
ひとくくりの時間を終わらせて、新しい生活を始めるのだ。

年を重ねるごと、新しいことを始めるとき
昔より勇気が必要になってくる気がする。

彼女の気持ちのすべてはわからないけど、
彼女の言葉の意味はわかるような気がした。

中国語で「さよなら」は、「再見」。

また会いましょうという意味だ。


再見って、ただ、さよならだけじゃなく、
また会いましょってのがいいよね。と言うと。

「でもやっぱり、私は長く会えないとか特別な時に使うの。」
と彼女は言った。

そのあと、ふたりで「再見」と言い合って、ハグした。

彼女が、この5年間で私と友達になれたことが一番嬉しかった。
と言ってくれた。

とても嬉しく、すこし切なかった。

帰りの電車で、窓をながれる風景を眺めながら
成田まで行けばよかったかな。と何度も思った。

でも、なるべく笑顔で見送りたかったから、

新宿で良かったのだとも思う。

お別れだけど、また会える。会いたいから、また会えるのだ。

そんな出逢いがあることは、やっぱり幸せだと思うし
自分も誰かにとってそういう存在になれたことが幸せ。

またちょっとしんみりしてしまった。